留学準備(1)「何処に行こうか?」

留学準備

いつか留学できたらいいな、と思いながらもう40過ぎ、不惑の年代になりながらも迷っていることも多いわけですが思い切ってアメリカ留学することとなりました。コロナ禍も含め紆余曲折ありボストンに至るわけですがその経緯を綴ります。

コロナ禍の始まり、2020年冬

現在このブログを始めることになった2022年12月末、ボストンはクリスマスムード一色、同時に猛烈な寒波が襲い、-10℃近くまで冷え込んでいます。幸い雪は降らず、足元は凍らず出歩くことは出来、一人寂しくクリスマスを過ごしているところです。

留学するにあたり、事の始まりと考えるともう2年近く、コロナ禍に振り回され、でもコロナ禍のおかげで実現した部分もあるのかな?と思い出しながら書いていきます。

泌尿器科医師として大学勤務する傍ら、年に何回か海外の学会に演題を出したりして、アメリカ、ヨーロッパとかにちょこちょこ行くようになっておりました。何年か上の先輩の先生が留学して戻ってきた時期でもあり、Professorからも留学を考えようか、と言われておりました。ちょうどそんな時期に日本泌尿器科学会(JUA)とアメリカ泌尿器科学会(AUA)の交換留学の機会も得て、2020年5月のラスベガスで開かれるAUAに参加して、そのあとはアメリカの病院へ交換留学するのを夢想しておりました。ラスベガスで大当たりしたら、税金とかどうするのかしら、困っちゃう、、、なんて甘く考えておりました。

そんな2月にASCO GU(アメリカ癌治療学会 泌尿器科腫瘍版、今だと日本泌尿器腫瘍学会の雰囲気ですかね)がサンフランシスコで開かれ、発表も通っていたのでサンフランシスコに行きました。これが長いコロナ禍の始まりになろうとは思いもしませんでした。ちょうどクイーンエリザベス号が横浜に停泊しており、ニュースがずっとアメリカでも流れていました。私の英語力ですので容赦願えれば、なのですが内容としては新型コロナウイルス感染症についてどちらかというとカゼのようなものだ、という論調であったように思います。インフルエンザが引き合いに出ており、インフルエンザでも米国ではたくさんの人が亡くなりますよ、というような。私も当時はそこまで重大に考えておらず、普通に発表して帰国しました。その後はみなさんもご存知の通り、日本だけではなくアメリカを始め全世界COVID19の猛威に晒され、大変な事態となりました。医療従事者であったので日々の業務を続ける傍ら、精一杯できることをするような毎日でした。5月のAUAの頃にはとても渡米の雰囲気はなく、オファーをして受け入れてくれることになっていたクリーブランドクリニックやニューヨークのMSKCCからはキャンセルの連絡が来ました。ニューヨークの状況をニュースで見ておりましたがとてもそんな状況でないことは明らかで、心が痛みました。

コロナ禍の最中

楽しみにしていた交換留学も飛んでしまい、残念ではあったのですが正直なところ、それどころではなくなった、というのが正直なところで忙しく生活しておりました。癌の診療を重点的に外来、手術などしておりましたので先に延ばせない患者さんもおりますし、その中でコロナ禍に合わせた対応、ということでかなり忙しくなりました。交換留学もそうですし、留学もそうですがとてもそうは言ってられないな、という雰囲気の中、気づけば2年近くがたちました。この間、zoom、Teams、Webexなどによるビデオ会議にかなり助けられたこと、またこれにより何処からでも誰とでも相談したりできることがわかり、我々の仕事も大きな変化を受けました。コロナ禍で辛い思いをした患者さん、家族の方も多く大変な事態でありましたが医療の現場ではそれに対応すべく大きな変革があったのも事実でありました。新しいことに対応すべく、集音マイクを買ってみたり、いろいろなマイク付きワイヤレスイヤホンを買ってみたりして無駄遣いもしましたが結局AirPodsProをずっと使ってました。日々の診療の傍ら、腐らずに論文を書いたり、研究をしたりして地道なことも続けておりました。2022年になる頃、ワクチンも広がり、徐々に海外を中心にコロナ明けともいえるムードが立ち始めました。そこで、2020年、2021年分の交換留学予定者を一度に2022年5月のAUAでやりましょう!!となりました。一旦選ばれたけど、無しで、となることも覚悟していたので嬉しい限りでした。AUAはニューオーリンズで行われ、その後はNYに3週間ほど滞在し、コーネル大学附属病院にオブザーバーとして行ってきました。いままで行ってみたくて仕方がなかったNYですがここで念願叶うこととなりました。またいつか書ければと思います。

AUA2022 New Orleans President Receptionにて。このキャラなんなんでしょう。ちょっとだけ怖い笑み。
 Weill Cornell 入口にて。

留学先の選定

5月の交換留学が決定したのが2022年1-2月頃と思いますが、その頃から徐々に本格的な留学の話も再度検討しよう、という雰囲気となってきました。自身としても特にコネがあるわけでもなく、うーむ困った、というところでしたが、自分としては基礎研究と臨床研究の間のようなものに興味があり、血中循環腫瘍細胞(CTC)や血中腫瘍由来DNAなどを研究しているところに行ってみたいなと思っていました。そんなおり、先ほど出てきた当研究室の先輩でボストンに行っていたA先生がアドバイスをくれました。A先生が行っていたのがHarvard大の関連施設ですが、関連施設は多くある中でCTCの研究をしている先生を提案してくれました。また、この先生のラボと同じフロアに我々の大学の他科の先生も留学している、ということでお話を聞いたりしました。いろいろ留学系の書籍をみますと、アプリケーションレター(留学のための売り込みレター)何度も送ったり、かなりの数断られたり、そもそも取り合っても貰えない、など読んでおりましたのでダメ元でしたが無事メールの返事がまいりました。その後は何度かzoomでのプレゼンテーションなどを経て、留学先として受け入れてくれることが決まりました!!ちょうど4月末くらいであったことを覚えております。時差があるので早起きしてzoomでプレゼンしたのが懐かしいです。英語で30分くらいの時間を与えられましたが、30分って経験なかったので夜中にこそこそ研究室で練習しました。zoomがなかったらどうなってたのかな、と本当に感じます。最初にアプライした先生が受け入れてくださることになり、思ったよりもかなり順調にことが進んだ結果となりましたが、多くの先輩、上司の先生方にお世話になりました。

そんな経緯でボストンに留学することになり、徐々に準備が進んでいくことになりました。思い出しながらまた準備のことを綴っていきたいと思います。留学先の選定、受け入れの許可までは本当に多くの先生のお世話になりました。推薦状を書いていただいた先生を始め他科の先生にも多大な御恩ができました。いずれお返しできれば、と思いながら日々精進してまいりたいと思います。

To Be Continued!! 留学準備(2)へ続きます。

コメント

  1. A より:

    無事行けて良かったです。不惑のボストニアンさんの頑張りがあったからこそです。

タイトルとURLをコピーしました